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いじめと自殺に関して~遺族としての提言

その後付け足し&改訂 11/30
このところ、いじめによる自殺者が増えています。
また、この問題に関する報道も多く目にするようになりました。
これに関しては、私自身のトラウマに触れることでもあり、
少々逃げていたところもあるのですが、この際思いきって
いくつか感じたことを書いてみます。

まずTV等のメディアでの扱い方についてなんですけど、
いつも非常にマズいなと思うのは、これ以上同様の自殺者を出さ
ないことが何より大事であるのに、どうかすると主に学校・教師や
教育委員会、ひいては文部省に対する責任追及にばかりに走って
しまうことです。

こうした報道のあり方は、まだまだ未熟な子供の視点からすれば、
あたかも死んでしまえば悲劇のヒロイン(ヒーロー)のごとく、
皆の同情と謝罪を勝ち取れるのだという、誤った錯覚を生じさせ、
それならば自分もと新たな死者を出すことになりかねません。

自殺を思いとどまらせるには、自殺は最大の逃避であり、最も
卑怯な行いである
ということをまずもって知らしめる必要があると
思います。

特に死んで自分を苦しめた人間達に報復できるとか、仕返しが
できるといった誤った認識を子供達に植え付けないように配慮する
必要があります。

いじめに関わったとされる人物も一時メディアなどに取り上げられ、
騒ぎになったとしても月日が経ち、生徒であれば卒業してしまえば、
教師でも別の学校に移動になれば、自然と記憶の底に沈められて
それっきりになる確率が高いと思います。

結局は、一番生涯に渡って「なんで助けられなかったんだろう?」
といった自責の念、苦しみを負うハメになるのは、自殺した当人に
最も愛情を抱いていた家族や本当に親しかった友人になる訳です。

「あなたを死ぬほど苦しめた人間じゃなく、愛してくれた
 人間をこそ、長きにわたって苦しめることになるのだ」

何より今、自殺を考えている人に訴えたいのは、こうした事実です。
≪↓↓↓≫
死んで楽になりたいとか、死をもっていじめた人間に報復したいとか、
親に心配をかけたくないから、我慢に我慢を重ねて何も言わずに
死のうとしている人に言えることは、死んで解決されることは
何一つない、死んでもそれはやっぱり逃避に過ぎなくて、問題は
未解決のまま、自身の来世に持ち越されることになると思うし、
何より少なからず愛情を注いでくれた人達をこそ、最も苦しめる
行為に他ならないということをまずは知ってほしいと思います。

このことは、何より私自身が(いじめとは関係ないけど)自死
遺児者の一人として、実際に若くして家族の死に直面させられた
立場から言っております。
本当にこういうことは、実際に体験した人間でないとなかなか
わかってもらえないと思うので、私自身痛いとは思いつつ、あえて
言わせてもらいます。

とりあえず早急にやってもらいたいことは、誰がいじめたか、
誰が見過ごしたかなどということより、緊急避難場所というか、
公平な立場から親身になって相談にのってくれる人間をもっと
増やすことだと思います。

学校関係者=教師は、メンタルケアの専門家ではないし、養護の
先生にしろ学校という組織のしがらみ等もあるし、あまり教師の
負担を増やすと今度は先生の自殺者を増やすことになりかねません。
(事実、別の問題で既に自殺者が出ています。本来生徒に死ぬなと
言うべき先生でさえ、下手をすればこの有り様なのです・・)

やはり教師とは別個に、公平な立場で悩みを聞いてくれる人間を
確保し、子供にもあらかじめ引き合わせておくことが大事ではない
でしょうか?
 
先生と生徒の間の微妙な関係を壊すことなく、また保護者としても
内申書等の問題を気にせず、遠慮なく腹を割って話し合える相手が
いいと思います。

一連の報道を見て感じたのは、マスコミの追求がかかると、
教師→校長→教育委員会、果ては文部省に至るまで、どうかすると
いじめの事実を隠蔽し、できれば事なかれ主義で済ませてしまおう
という風潮です。

誰しも自分の立場を守りたい、幾つになっても保身意識が働くのは
当然のことで、こういう体質が早々変わるとも思えないので、学校
とはまったく別個の、第3者的な組織でも作った方がいいような
気がします。

何より悩みを抱えている生徒にもプライドがあるので、かえって
親とか先生よりも、見ず知らずの相手の方が心の内を曝け出せる
場合もあると思います。
(とにかく、早急に必要なのはとりあえず僧侶でも牧師でもいい、
学校へ行けと無理強いする必要のない、立場でもない、ありのまま
の自分を受け止めてくれる相手を与えることだと思います)

それともう一つ、大事なことは各家庭での教育です。
先の大戦において、宗教が戦争に利用されたために、戦後は占領下
において、それまで日本人が培ってきた強靭な精神性を根こそぎ
奪い去るような政策を強いられてしまいました。
それ故、いまだ国内では宗教というと、微妙に構えてしまったり、
気安く語れない風潮が強い現状があります。

誰もが必ず死ぬ存在である以上、「いかに生き、どう死ぬべきか=
人しての死生観」の問題は、避けて通れないのに
「死んだらどうなるか」といった宗教的な問題を抱えたことがらに
関しては、教師といえど迂闊に話がしにくいのが実情です。

ですので、本当に我が子を死なせたくないのであれば、教師といった
他人をあてにする以前に、子供が小さい頃から各家庭において、
自殺は最大の親不孝であり、絶対にしてはいけないということを
よくよく教え込むしかないと思います。

実際に「生きるということは、自らを苦しみの中に置くこと」である
ということは、大昔にお釈迦様が看破されたことでもあります。

しかし、その苦の中でしか得られない希少な体験(苦労を経ての喜び)
こそ、自身の向上に繋がる故に、私たちはあえて居心地の良い霊界
から意を決して窮屈なお母さんのお腹に宿り、苦しみや不自由を
強いられるこの世に生まれているのです。

こうしたこの世だけでない世界観を持ち、「因果応報=誰かに
むごい仕打ちをすれば、必ず自分自身に跳ね返ってくる」といった
大宇宙の法則を受け入れるようになれば、自然といじめなどという
のも減るのでしょうけれど。

サイトの自己紹介ページでも書いてますけど、物事には必ず光と影、
表裏一体などという言葉があるように、
この世(目に見える物質世界)とあの世(目に見えない霊的世界)
2つで1つ」で、両者は切り離せない・切り離して考えてはいけ
ないものだと私的に思っております。

それ故に、この世で賞賛されることのなかった隠れた善行は、
あの世でちゃんと評価され、
逆にこの世で露見しない悪事は、全部
あの世(来世)で、清算するハメになる。


通常、私達はこの世だけしか見ない・見えないから、限りなく
不公平に見えるのだろうと…。

上記の世界観を身につけると「バレなきゃ何をしてもいい」と
いった感覚でいたら、結局自分が先行きバカを見ることになる訳で、
必然的に自制心も生まれてきます。

信じる・信じないは個人の自由ですけど、「真実は常に一つ」で、
どちらを選択した方がより人間らしい生き方ができるかをよくよく
考えてほしいと思います。

自殺やいじめをなくすには、人間ならではの死生観に基づいた教え
でもって子供をしっかり納得させることが最も効果的だと思います。
本能や我欲にひきずられてしまっては、畜生・ケダモノと同じだと。

今の世の中、「バレなきゃ何をしてもいい」=人としての誇りを
捨てた生き方が横行してるが故に、振り込め詐欺なども多いのだと
思うし、そういう大人がはびこる社会だからこそ、子供社会でも、
親や教師に知られないところで「バレなきゃ何をしてもいい」
とばかりに、特定の人物によってたかってむごい仕打ちをする子が
出てくるのだと思います。

子供の世界というのは、未熟でありながら大人社会の縮図でもある
と思うので、もう少し大人の方も目に見えるだけでない広い見識を
備えて接する必要があると思います。


≪付け足し≫
どんなにしたたかに見える人間でも人である限り、おもいがけない
弱さを抱えていたりするものです。
私はまだ学生だった頃、家族を思いもよらない形で喪い、そのせい
もあって、
「人として、どう生きるのがよいのか? 真の人生の意味とは?」
と自分なりに考え、宗教書などを通してあれこれ模索もしました。
その結果、先に述べたような回答に辿り着いた次第です。

とにかく、クラスメイトや学校や教師の責任をどんなに追求した
ところで、実際に死を選択して実行したのが当人であるならば、
この世的な法で裁くにも限度があると思います。

しかし、人として本当に許されざる行いをしたのであれば、必ず
因果応報の理でもって、いずれ自らの罪深さを思い知ることになる
でしょう。(‥なにせ他人の目はいくらでもごまかせても、本人の
魂の記憶だけは誤魔化しようがありませんから‥)

周囲の人間にもある程度反省を促すことは大事ですが、それ以上
誰かを断罪したところで、失われた命は2度と戻ってはこないのです。
それよりは、これ以上の犠牲を出さない工夫をすべきだと思います。
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