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熊本地震の体験記。(その1)

4月に地震が起きて以来、余震がずっと続いておりまして・・。
それがようやく5月の末頃から収まってきたので、今ひととおり書いて
おこうと思います。(2016/06/20)

とりあえずの名称がどうも気に入らないというか、しっくりこない・・
ふつーに「熊本地震」っていったら、あんまりたいしたことない気が
する・・実際体験した人間にとっては、「熊本大地震」か、「大震災」って
言ってもいいんじゃないかって思うけど・・。

特に被害の酷かった地域は、熊本市の東部に位置する上益城郡の
益城町周辺ですね。ここがちょうど2つの活断層の交差点にあたり、
益城町から東へ阿蘇山方面に直線状に、西原村、南阿蘇村と
隣り合っていて、そのあたり一帯が特に被害が大きいみたいです。
≪↓↓↓≫


まず、最初の前震といわれるのが4月14日の夜に発生。
私は、居間で母親とTVを見ておりました。

なんかただごとでない揺れ方だなと思いつつ、この時はまだ停電も
なく、TVも照明も普通に点灯したままで、とりあえず「ガス栓!」と
母に言われるまま、台所へ閉めに行く余裕もありました。

地震直後からずっとTVはつけたまま、NHKで流れる地震の
情報を見ていました。

その後兄が帰宅。帰ってすぐ「大丈夫?」と母に聞くので、
訝しんでいたら、いつも母が横になる場所に神棚から布袋様の
像が落下していたのです。
金属製でけっこう重量があったので、下に母がいたら大惨事に
なるところでした。


最初の揺れが午後9時25分頃で震度6弱・・・その後再び同程度の
揺れが日付が変わった0時3分頃に起きました。

一度大きな地震が起きると、開放されたエネルギーが落ち着くまで、
連鎖的に余震が起きるのだそうです。

これほど大きい地震を経験したのは生まれて初めてで、その後も
ずっと延々長期にわたって、うんざりするほど余震に悩まされる
ことになるのですが、このときはまだあまり深刻に感じていません
でした。


居間の片隅で一応横にはなりましたが、一晩中余震が頻繁に
起きるので、あまり眠れませんでした。

そして、夜が明けて、びっくり。
隣家のブロック塀が北側の道路沿いに倒壊している。
しかも我が家のブロック塀も西側が端から端まで全て倒壊して
いたのでした。

さらに2階にあがってみると思ったとうり、ひどいことになっていました。
入り口近くの3段ボックスが倒れ、本は散乱してるし、何より南側の
窓際に置いていた鉢植えが・・・シクラメン以外は全て落下。
隣の部屋と合わせて、全部で5鉢ほど。

ただ、やっぱりこの時は、停電も断水もなかったので、比較的
ダメージは少なく、「あれだけ揺れたけど、この程度で済んだ」って
安堵感の方が強かったと思います。

理由のひとつには、ちょうどこの日から、3日間お休みだったんです。
サービス業になって以来、土日を含めての3連休なんて、もう何年も
なかっただけに、さっさと片付けを終わらせて、残りの休日を満喫
するぞって、気持ち的には高揚してたくらいだったんです。

実際、この日は頑張りました。昼には少々バテて寝てしまいました
けど、夜までにはなんとか片づけて、お風呂を沸かして、しっかり
ヘナパックまでして。
今、思うとホントにあの時は、すっかり油断していてかなりきわど
かったです。

最初のと数時間後に同程度の規模の余震があって、その後
何度も余震はあったけど、どれも小さいものだったし、このまま
収束してゆくのだとばかり思っていました。


で、ドライヤーで髪を乾かした後、やっと片付いた2階で少しだけ
ビデオを観ようか、でもその前に水分補給しようと台所の流しで
お茶の入ったカップを口にして置いた瞬間いきなりドンと下から
ものすごい衝撃がきて、今置いたカップが宙を舞い、あっと思う
間もなく、視界は真っ暗。

立っていられない程の揺れと轟音。とにかくその場に座り込むしか
できませんでした。
周りの至る所で物が壊れる音が響いて、でも幸い、私に倒れたり、
降ってくるものはなく、家具は倒れたけど、家は壊れませんでした。

なかなか揺れが収まらないので、途中からこの辺にテーブルあった
よねって、頭だけテーブルの下に突っ込むようにして、揺れが収まる
のを待ちました。

ようやく揺れが収まったので、近くで寝ていたはずの家族の無事を
確認していたら、間髪入れずにサイレンが鳴り、「津波警報が発令
されました」って言うじゃないですか。

「うそだ~~~!」とは思いましたが、とにかく避難するしかありません。
家族と共に貴重品だけ持って、車に乗り、高台の方へ。

途中、道路のマンホールの蓋が何箇所も盛り上がっていて、遠くに
高台へと続く車の長い長い行列。
結局、数時間後に津波警報は解除され、自宅へ戻りましたが、
その間も余震が起きたり、帰る途中の道でどこかからガスが漏れて
いたのか、ガス臭さに見舞われたりと、闇の中でも緊迫度が半端
なかったです。

さすがにその晩は、家の駐車場でラジオを聞きながら車の中で
過ごしました。
明け方近くラジオを消して寝ようとしましたけど、前夜と同じく
ほとんど眠れませんでした。

「本震」という言葉を知ったのは、地震から何日後だったでしょうか?
本当にまさかのまさかでした。夜が明けてから、改めて家の中の
惨状を目にして、かなり危機一髪だったのを思い知りました。。

家中いたるところグチャグチャになっていて、特に台所は私の立って
いた場所以外は、隣から押しかぶさった食器棚のせいで冷蔵庫は
斜めになったまま扉は全開。さらに隣の電話台が倒れ、電子レンジ
を載せていた米櫃が5段ストッカーを押し倒し、そのストッカーがまた
通路をふさいでしまっていて・・要するに完璧ドミノ状態。

冷蔵庫を救出するには、傾いた食器棚を元に戻さないといけないけど、
中の食器がガラス戸に押し付けられていて重みでガラス戸はびくとも
しないし。
玄関から廊下、台所にいたるまで畳じゃない所は土足で歩くしか
ない有り様でした。

(長くなったので、続きは後日書こうと思います)
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